キーボードやマウスの無い、タッチパネルだけの小型のコンピューターを「タブレット」と呼ぶが、 もともとタブレットは石板や粘土板といった小型で板状の記録メディアの事を指す。 同じ語源を持つ「テーブル」や「タブロー(キャンバスに描かれた絵画や窓枠)」もタブレットと同様に、 世界を記述したり、切り取るような役割を果たし、鑑賞者はその板の中の別の世界を見出す。 この時、この「板」は具体的な厚みを持った平面でありながら、同時に奥行きや立体感を表す透明な「窓」となる。 こうした「板」であり、同時に「窓」である作用について3つの作品を通じて考察した。
「A」
食卓の上の食材や食器をモチーフにした3枚組の平面作品。3枚のパネルには、パネルの縁で切断された、
パンやお皿など食卓をモチーフにした写真が点在している。切断されたモチーフそれぞれの対応関係を追うと、
モチーフの切断される前の形と同時に3枚のパネルが制作時に重なり合っていたことが見えて来る。
その時、頭の中で想像される3枚のパネルは回転、移動し、ゆがんだ空間性を生み出す。
「B」
左右にゆっくりと首をふる木製の板に、椅子とテーブルを上から見下ろす映像が投影されている。
椅子とテーブルは、首をふる板の裏側に貼り付けられていて、カメラでリアルタイムに撮影したものを左右反転して投影している。
つまり、板が左右に首を振る動きと同期しながら椅子とテーブルの映像も視点を変えることになるが、
左右を反転しているため、板そのものの向きとは逆の遠近になる映像が映る。映像の中の空間の奥行きと、
その映像が投影される板の奥行きは常に逆になり、2つの奥行きが重なりあった状態となる。
「C」
壁面に小さなカメラと、液晶ディスプレイが掛けられている。ディスプレイにはカメラによって撮影された展覧会の会場内の映像が、
まるで鏡のように映っている。しばらくすると、その映像が徐々に小さく、視線が後退していって、
それ自体が実はバーチャルな別の展覧会会場の壁に掛けられたディスプレイの映像であることがわかってくる。
そこは、現実の展覧会とある程度対応関係にある別の展覧会になっていて、ひととおり巡回したのち、再び最初の鏡のような状態にもどる。
「D」
天井からiPadが吊るされていて、扇風機の風で揺れている。iPadには、カーテンのついた窓枠のCGの映像が映し出されていて、
カーテンが風で揺らめいている。その窓枠の背景には、iPadの背面のカメラで撮影している現実の空間の風景が映し出されていて、
iPadが揺れる動きによってその風景も揺れ動く。しかし、窓枠のCGの映像はそれとは無関係に中央に映し出されている。
この時、iPadの中に映る現実の風景は、iPadを透明な窓のように作用させ、奥行きのある空間性を持つが、CGの窓枠はむしろ、
iPad自体の厚みと対応する、板状の薄っぺらい空間に貼り付いたように見える。