カティーサーク/カレーパン


http://twitter.com/#!/NuC0de/status/12154510357037056 

 "そろそろ仕事を放棄し、カティーサークに。カティーサークを飲むと死んだオヤジが近くに感じられる。冬の朝のカレーパンのように。" 

そもそも「カティーサーク」が何なのか分からなかった。次の一文を読んでそれが飲み物で、かつ仕事を放棄して飲むのだから、「カティーサーク」は多分酒なんだとなんとなく理解した。 

で、わざわざ「カティーサーク」と書くくらいなので、それがビールだとかワインとかではなく、「カティーサーク」という文字とか言葉の響きからも、「アブサン」みたいな特殊なお酒なんじゃないかと、そう思えてきていた。だからきっと死んだオヤジが近くに感じられるのではないか。 

死んだオヤジが「カティーサーク」をよく飲んでいたなら、死んだオヤジを近くに感じるのではなくて、飲んでいた様子を「思い出す」はずだ。だから「近くに感じる」というのは「カティーサーク」を飲む事による酔いが何か幻覚のようなものを見させるとか、それともオヤジのように死んでしまうほど、もしくは死に近づくほど深く酔わせるのか。 

しかしなぜそれが「冬の朝のカレーパンのよう」なのだろうか。それは全く唐突で、何にも接続していない。しかしこの一文によって、かつて食べた冷たいカレーパンの感触を強烈に思い出してしまう。今初めて知って、飲んだ事もない「カティーサーク」という酒にこれだけ想像を働かせながらも、急に思い出された妙にリアルで卑近なカレーパンの感触にリアリティが持っていかれてしまう。 

「カティーサーク」がどんな酒か、「死んだオヤジ」がどんな人物かは知らない。しかし「冬の朝のカレーパン」だけはわたしの経験の内にあって、そのリアリティがこの短いtwitterの文書の最後に唐突に吹き出してしまうのだ。