2020, at online.

Akihiko Taniguchi

新型コロナウィルスの流行の影響で、実際の空間で発表する予定だった作品が制作できなくなってしまった。外出することも減り、自宅にいることが多くなった。そのせいか、ネット上で見れる習作や作品を、今年はいつもより多く作ったような気がする。小さな習作を作ることは、大きな作品のための準備でもあるし、短いメモや詩のように、思考の断片を書きとめるような作業でもある。2020年に何が起きて、何を考えていたのかを残し、振り返るために、この断片をまとめておこうと思う。

webページから画像をアップロードすると、バーチャルな空間の中に設置されたプリンターから印刷されるという習作。以前からゲームなどのバーチャルな世界で写真を撮影する「インゲーム・フォトグラフィ」に興味を持っていて、それについて考えていたときに、「バーチャルな印刷機」というアイディアが浮かんできた。コンピューターは他の様々なメディアを内包するメタ・メディアだが、内包されるメディアは、かつてのあり方から意味不明なほどに変容してしまうときがあって、僕はそうしたところに興味を感じているのかもしれない。ふとした思いつきで、サッと作って、勤務している大学の研究室の前にこの習作のURLとともに「オンラインプリントサービス始めました」と書かれた張り紙を貼った。この頃は、まだこの感染症がこれほどまでに世界に影響を及ぼし、変化させるとは思っていなかった。この習作を作った1月16日は、国内で初めての感染者が発見された日だった。

ARTSPEED Wind Tunnel Testing

11 Feb. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/390664603

現代美術作品にタイヤをつけて、サーキットでどの作品が一番「速い」かを競う「ARTSPEED」という作品のための習作。2017年ごろから考えていた作品だが、2019年末に本格的に制作を始め、4月に勤務先の大学で行われるイベントでベータ版を展示する予定だった。イギリスの美術誌「ArtReview」が公開している、その年に美術業界で影響力のあったキーワードや人物をランキング形式で紹介する「Power 100」というページがある。その「Power(力)」を「Speed(速度)」に変えることで、そもそも美術における力や価値とは何なのかを批判するというアイディアから始まった作品だ。いわゆるレースゲームのように実際に操作してプレイできる作品にする予定だった。これはレースとは別に車体の観賞用に用意した風洞実験モードの映像だ。実際にリアルタイムな流体シミュレーションを行っていてて、なんとなく空気の流れを見ることができる。この頃(2月11日)はまだ、現実の空間でイベントや展示を行うことがここまで難しくなると思っていなかった。

ARTSPEED TRACK TEST

12 Mar. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/397008517

これも、「ARTSPEED」という作品のための習作。実際に複数の作品がサーキットの上をゲーム用AIによって自動で走行し、レースの様子を再現している。これを制作していた頃にはすでに感染拡大防止のために様々なイベントが中止されていて、ベータ版を展示するつもりだった大学のイベントも中止になっていた。この後も制作を続けるつもりだったが大学のオンライン授業対応などの仕事などで忙しくなり、制作は中断してしまった。この時点で全国の小学校、中学校、高校は春休みまで臨時休校となっていて、この映像が完成した翌日13日には、新型コロナ対策の特別措置法が可決し、「緊急事態宣言」などの強い対策が行われる可能性が出てきた。

箱庭療法と意味の型取りゲージ

23 Mar. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/399889896

小山泰介らが主催するプロジェクト、「東京フォトグラフィックリサーチ」のために製作した作品。もともとこのプロジェクトは新型コロナウィルス流行以前からオンラインを中心としたプロジェクトとして企画されていた。以前制作した、「tablet」という食パンを食べることで詩を生成する作品と同様に、意味と形の関係を探ることをテーマにしている。また、ゲームエンジンを使って3Dの空間を作ることと、箱庭療法のプロセスが似ていることについて考えていた。この作品が完成した3月23日には、すでに多数の感染者が国内で確認されていた。そして翌日には東京オリンピックの開催延期が発表された。

hand washing

28 Mar. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/401381879

以前から手の動きを検出する「ハンドトラッキング」という方法を用いた作品のプランがあったのだが、うまく作ることが出来なかった。ふと思いだし、それについて考えていたらバーチャルな空間で手を洗うイメージが浮かんだ。この頃、新型コロナウィルスに関するニュースでは、手洗いの方法が何度も紹介されていた。私自身も週に1度ほどの外出から帰宅すると神経質なほどに手を洗っていたように思うし、今でも少し過剰に手を洗っているような気がする。LeapMotionというハンドトラッキングのセンサーの上で手を洗う動きをしてみたら、処理速度が足らないせいか奇妙な手の動きが生まれた。ちょうどその頃、ハワード・ヒューズの半生を描いた「アビエイター」という映画を見たせいもあってか、その手の動きが妙にしっくり感じられたのだった。映画では、ハワード・ヒューズが強迫性障害により、皮膚が擦り切れるほど手を洗う場面が描かれている。しかしバーバーチャルチャルな空間では手が擦り切れてしまうこともない。この作品は、5月22日からアムステルダムのupstream galleryで開催されたオンライン展「echo」でも展示された。

interview / Technological (dark) humor

30 Mar. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/401998624

キュレーターのBiin ShenとHOW art museumの共同プロジェクト“Technological (dark)humor”のために制作したインタビュー映像。「ユーモア」をテーマに、過去の作品の映像をつなぎ合わせながら話している。以前制作した「やわらかなあそび」と同じテーマを少し違う切り口から話していると思う。ユーモアは悲劇と表裏一体なのだけれど、それはコンピューターでシミュレーションされた世界では、現実での破壊や暴力ではないからこそ、より過剰で空転しているように見える。この映像を作っていたころには世界各地では緊急事態宣言が出され、それに伴う移動・外出制限が行われていた。国内でも首都圏に対して緊急事態宣言が出されるのではという機運が高まっていたように思う。この頃には、外を出歩くひともまばらになっていて、夜中に外に出ると、世界に自分だけが取り残されたような気分になった。

んoon - Amber (Summer ver.)

8 May. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/416122863

んoonというバンドのためのミュージックビデオ。もともとは去年の11月にんoonのライブでVJをすることがあって、その時に使用した映像のひとつに、このプールの場面があった。新型コロナウィルスが流行する以前から、この映像をベースにミュージックビデオを作ることが決まっていたが、作り始めたらもろに現在の状況と重ね合わせて見えてしまい、そのイメージに従って素直に作ろうと思った。CGで描かれたヴァーチャルな世界は、すべてが紛い物で、手を洗ったり、マスクをしたり、キャラクターが密に集まっていて(互いにすり抜けてしまってもいる)、水に浮く様子が死体のようにも見えたとしても、それらは無意味に空転してしまう。この頃は緊急事態宣言の真っ只中で、生活必需品の買い出し以外、外出はほとんどしなかったように思う。なんだか少し陰鬱な気持ちになりかけていたが、子供の世話をしたり、オンライン授業で学生と話すことで多少緩和されていたように思う。

授業資料「感染症流行期におけるオンライン展覧会づくりの手引き」

15 May. 2020, Web

[web] : https://okikata.org/online/

勤務先の大学で、彫刻学科と共同で授業を行い、バーチャルな展覧会を制作することになった。これはそのための資料ページだ。大学では、新学期開始からすべての授業がオンラインで行われることになった。美大のように実際に手を動かして作品を制作する環境で、すべての活動をオンラインに移行することはかなりの困難をともなう。アトリエで実材料を扱う工芸や絵画・彫刻などのファインアートの学科で特にその困難さは顕著になる。各学科では、映像資料を充実させたり、材料を各学生に郵送するなどの様々な工夫が行われていて、そうした取り組みのひとつとして「バーチャル展覧会」が企画された。以前からネットアートにおけるバーチャルな展示の問題について考えていて、このページを作る事で改めてその考えをまとめる機会にもなった。基本的にネットアートは現実の空間で行われる展示の代替物でもなく、そもそも「展示」を前提としていない。アップロードされたものを「見る」だけだ。また、しばしば現実の空間で行われる展示を否定すらしている。そうした姿勢を、この状況のなかで振り返ることはどこか勇気づけられるところもあった。また、彫刻について言えば、これまで自明のものだった実空間と実材料が扱えないからこそ、本質的にそもそも彫刻とは何であるのかを考える契機になるはずだと思った。5月から毎週レクチャーや演習を行い、最終的に「タマビ バーチャル彫刻展」を制作・公開した。初回授業を行なった5月15日の前日には、海道、東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、京都の8都道府県をのぞく39県で緊急事態宣言が解除されていた。

Amazonからの荷物が届いて、その箱に河原温のデイト・ペインティングのように、その日の日付を書き込み、壁に飾るという作品。5月25日には非常事態宣言が解除されて、この頃には外を出歩く人が少し増えてきたような気がする。それでも大学の授業はオンラインで行われ、必要最低限の外出しかしなくなっていた。必然的にAmazonなどのネット通販を利用する頻度が高くなり、以前よりも頻繁に荷物が届くようになった。また、様々な展覧会がオンラインやゲーム内で開催されていて、これまでの「展示」というあり方が問われ始めている状況で、おそらく何人もの作家が作品を「配達」することを考え、メール・アートのことを思い出していたと思う。私もまた、河原温のことを思い出し、インターネットで検索していたら、たまたまデイト・ペインティングの文字をVincent Bruijnというアーティストがフォントデータにして公開していたのを見つけた。これらが組み合わさってこの作品ができた。5月25日には首都圏の緊急事態宣言が解除されていたが、再び6月2日には都内で34人の新規感染が確認され、「東京アラート」という警戒が出されていた。

「hand washing」という作品でも触れたが、以前から作ろうと思っていた作品があった。もともとは、草むらに切断された手首が落ちていて、LeapMotionを介して鑑賞者が指だけ動かせる、という作品だ。LeapMotionというハンドトラッキングのセンサーが発売された直後、様々なところでバーチャル空間に手が浮かぶデモの様子を見たが、それらは全て手首から先で切断された手が空中に浮かぶ奇妙な様子だった。マウスなど、コンピューターのインタフェースに関する技術は、それを介して人の身体の動作をバーチャルな空間内に反映させ、空間内の物を操作することができるようにするものだ。つまり、まるで身体がバーチャルな世界に入っているかのように感じられる。しかし、しばしば実際にはバーチャルな空間には、頭部や手といった必要最低限の要素しかバーチャルな空間に入っていくことができない。それを第三者から見た場合に切断された身体のように見えてくる。色々と状況が変わって、再度この作品のアイディアを考えていたら最終的にシンプルにキーボードとマウスのみのインタラクションとし、ヘッドマウントディスプレイも含めたVRをテーマにした作品になった。この頃は、緊急事態宣言が解除されたものの、新規感染者数は横ばいで、わずかに増えつつあるといった状況だった。

online meeting

11 July. 2020, Video

[video] : https://vimeo.com/437356130

新型コロナウィルス流行の影響で、オンラインでのミーティングや授業が頻繁に行われるようになって、特にZoomというソフトを使用することが多くなった。そこには「バーチャル背景」という機能があり、カメラにうつる自身の姿の背後の風景を、任意の画像や動画で覆い隠すことができた。デフォルトでソフトに用意されたバーチャル背景は、どこかの素材サイトから集めてきたような当たり障りのない写真や映像だった。バーチャルといってもそれらは実際にどこかのカメラマンが現実の風景を撮影したものだ。そしておそらくそれはどれも新型コロナウィルス流行以前に撮影された風景だ。まるで、まだ何も起きていない、新型コロナウィルス流行以前の風景は、もはやバーチャルなものになってしまったのだと言われているようにも思えてくる。そんなことを考えていると、バーチャル背景たちがバーチャルな空間でオンラインミーティングをしている風景が思い浮かんだ。それをそのまま制作したのがこの作品だ。この頃には再び1日の新規感染者数が増加し、流行の第2波が始まっていた。

タマビ バーチャル彫刻展

2 Aug. 2020, App

[web] : http://www.idd.tamabi.ac.jp/art/exhibit/vc2020/

彫刻学科と共同で進めてきたバーチャル展覧会が公開された。最終的にアプリケーションをダウンロードして鑑賞する形式となった。それぞれの学生の制作のサポートとフィードバックや、完成した作品を1つの空間に配置する作業など、とにかく膨大な作業量だったが、なんとか完成にこぎつけた。バーチャルな空間は実空間と異なり、重力や物性などの物理的な制限がない自由な空間でもあるが、一方で鑑賞体験の時間や操作性、処理速度の上限など、異なる制約が生じてくる。そうしたバーチャルならではの制約が制作の終盤になって襲いかかり、作業量はさらに膨大なものになった。「バーチャル彫刻」という今までにない作品の形式に対して、学生たちは斜に構えたり、安易な「答え」を持ってこないで、素直に「彫刻」として取り組んでいたように思う。現実の空間の代替でもなく、素直にバーチャルな空間の中で制作し、そこでしかできない表現をきちんと作品にしていた。また、バーチャルな空間で作品を破壊するようなアプローチが目立ってもいた。ちょうどこのころアメリカで起きたBlack Lives Matterでは、過去に奴隷制度や黒人差別に関わった歴史上の人物の彫像の破壊が行われていた。まさにこれに直接に応答する作品もあった。また、そもそも彫刻を彫る行為は小さな破壊でもあるということを考えさせられた。展覧会のタイトルは、彫刻学科の高嶺さんと木村さんと話しながら決めた。「バーチャル彫刻展」というやや間抜けさすら漂う直球なタイトルになったが、それがかえって良かったように思う。この頃には感染の第一波よりもはるかに多数の感染者が確認されていたが、一方で観光需要を喚起するための「Go Toキャンペーン」など、経済支援の取り組みも行われていて、感染拡大防止と経済活動のバランスが問題になっていた。