【考えてみる】この授業について

「プロシージャル・ポエジー/手続きの詩学」とはなにか

この授業は多摩美メディア芸術コースの2年生の演習「プロシージャル・ポエジー」(担当:大岩雄典、谷口暁彦)です。 月曜日は谷口、木曜日は大岩雄典さんが担当します。 大岩さんと書いた授業のシラバスにはこんなことが書いてあります。

本授業では、ワークショップとリフレクション(振り返り)を通じて日常や非日常のプロセスを再考・転用・発明することで、固有の表現を探究し、最終的にひとつの作品や実験に仕上げます。たとえば、新しい球技のルールを考案して実際にやってみる、物理的なカメラを使わずに(たとえばゲーム世界の中で、キッチンで、暗闇で?)写真をつくる、日々の出来事を楽譜に起こしてバンド演奏する……など(上記はアイデア例)、人間や人間以外が実行するプロセスをめぐるリテラシーを育み、制作や思考のための新しい視点を探究します。

じゃっかん授業内容が固まらないまま書いた感がありますが、このような、ある手続き・プロセスを発明・制作すること、そしてそこから生まれる表現(詩)を探求するのがこの授業のねらいです。「プロシージャル・ポエジー」とはあまり一般的な言葉ではないかもしれませんが、ある手続きや方法を作り、そこから表現を生み出すことは、そもそも作品を作るための方法の一つだと言えます。まだ曖昧な領域ですが、具体的な演習を通じて考えていきたいと思います。授業全体としては、こうした手続きによる表現を探ることが狙いとなっていますが、谷口の担当する授業では、特にそこから「詩」や「言葉」の表現を中心に考えていきたいと思います。

意味を生み出す装置・関数

私たちが作品を作るときに選択する、色や形や、ものの配置と同じように言葉にも質感や物質性があります。この月曜の授業では、言葉を用いたいくつかの演習・実験を通じて言葉の質感を探るところから始めたいと思います。そこから、ある入力や条件設定から、詩を生成・出力するシステム・装置や関数を制作し、そこから生まれる詩の質感を考察・検討していきます。それは一種の翻訳システムでもあるし、インタフェースでもあり、情報の暗号化や、情報通信における符号化(エンコード)と複合化(デコード)の関係にも似ているように思います。その時に、いっけん無関係なものが結びつくこと、その結合自体、あるいはその組み合わせから生まれる質感や感情を、詩と呼ぶことはできないでしょうか?そして、これはらく作品を作るプロセスそれ自体を考察し、独自のメディア・媒体を作る表現でもあると言えます。ひとまずこのようなところを目指しながら順に考えていきたいと思います。

また、こうした問題は僕自身が10年ほど前から時々取り組んでいて、まだあまりうまく解決?制作?できていない問題でもあります。これから紹介する僕の過去作は「プロシージャル・ポエジー」的な問題をテーマに制作して制作された作品です。

骰子一擲 (2012)

これは、ステファヌ・マラルメの詩「骰子一擲」を、その言葉の区切りごとにプルダウンメニューに含めて、そこからランダムに表示するというスケッチ。それぞれの言葉は、重複がないようにランダムに選ばれ、表示されている。言葉がまさにサイコロをふって、多数の選択肢から選ばれたように感じられる。
http://okikata.org/study/test77/

圧縮 (2013)

夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭を使用して、重複して登場する文字を1文字にまとめることで文章全体を圧縮するという試み。そこからさらに展開し直すプロセスをアニメーションで表示させる。
http://okikata.org/study/test79/

記録メディアとしてのパン / タブレット (2015)

これは「マテリアライジング展III - 情報と物質とそのあいだ」に出品していたインスタレーション「取れた銀歯は、舌でその穴の深さを測り、食べた米が穴を埋める。」(2015)の要素の一つ「記録メディアとしてのパン / タブレット」という作品です。もとの食パンの形から食べ進んだ距離に応じて文字が選ばれる距離と言葉の対応表をあらかじめ制作し、食パンをかじることで詩を生み出し、またさらに食べていくことで詩が変化していきます。ここでは、パンを食べることと、それによって生まれたパンの形が入力、対応表が関数、選ばれた言葉が出力という関係になっています。

制作した対応表では、例えば10mmのとき「風が」、11mmのときに「道は」が選ばれるようになっています。なぜ10mmのとき「風が」で、11mmのときに「道は」なのでしょうか?この対応表は思いついた言葉を書き連ねて作られていて、かなり恣意的に言葉が選ばれています。しかし、この食べ進んだ距離と言葉の関係を、なにか根拠づけたり、納得できる関係性に落とし込むことは実はけっこう困難です。むしろ、この対応表が変化せず、再現性ともって繰り返し使われること、運用され、「馴染む」ことが重要に思えます。

箱庭療法と意味の型取りゲージ (2020)

これは「箱庭療法と意味の型取りゲージ」(2020)という映像作品です。映像内に登場する「意味の型取りゲージ」は実際に3Dプリンタで制作したものもあります。以下はこの作品について書いたテキストの冒頭の箇所です。

私たちは、情報を一時的に保存するために、何らかの物質を加工したり変形させる手法をとる。例えば紙に文字を書くことや、ハードディスクなどの記録メディアにデータを保存することも、どちらも物質を加工、変形させ、情報を留める方法だ。変形は一定のルールに基づいて行われており、同じルールに基づいて解読するこでその意味を読み出すことができる。つまり、私たちは情報を保存するとき「かたち」に意味を担わせている。

つまり、私たちが普段「情報」と呼ぶものは何かしらの物質に依拠したパターン(かたち)を持っているということが言いたかったのです。であれば、逆に全ての形から全てのかたちから意味を取り出すことが出来るのでは?ということを考えていたのかもしれません。

意味の練習場 (2022)

2022年のゲームアートの授業で講評会に向けて制作した作品です。英語の頻出単語2000個がベースとなっていて、最初にその中から一つの単語がボールとして選択され、飛距離に応じて単語が選ばれていきます。ゴルフクラブで打つ前と打った後、あるいは打ったボールが別のボールと近づくことで単語の関係性から意味を見つけることが出来るのでは、と考えていました。コンクリート・ポエトリー的な配置のことも考えていました。

配球/pitch sequence (2023)

窓のように区切られた一定の領域、枠を通じてコミュケーションをとる方法。どこに何をどういう順番で投げるかが意味を生み出す、コンポジションの窓。ストライクゾーン。ピッチャーはヒットを打たれないよう、バッターはヒットを打とうと、お互いの真意を読み取り、騙し合いながら、互いに絶妙にすれ違うディスコミニケーションを成立させようとする領域。また、そのような視覚的な美学とは異なる根拠に基づいて生み出される配球図のコンポジション。