谷口暁彦 個展「超・いま・ここ」会場図

置き方
Placement

2008 - 2011

ディスプレイの中に表示される映像と、その外側にある現実の物理的な空間を様々な方法で関係付けることを模索したインスタレーションのシリーズ。例えば、ディスプレイに川の水面の映像が流れると、同じタイミングで扇風機が動き始め、ウサギの毛皮をたなびかせる。映像の中で落下する工具が床に衝突すると、展示空間に置かれたマグカップが振動して音を鳴らす。そうした、映像の中の現象を、現実の空間の出来事と関係/同期させる仕組みを持つ装置を空間的に配置した作品。

今回の展示では、多くの部分が残っていなかったり、部品の劣化が激しいため、複数の構成要素から「オットセイ、本」の部分だけをピックアップし、液晶ディスプレイをiPadに置き換え再制作した。映像自体はオリジナルのものを使用している。

オットセイ、本

03-1|オットセイ、本
オットセイが鳴く様子が映るディスプレイは、それ自体が鳴き声に反応して上下に首を振るようになっている。ディスプレイは、その動きによって本に結び付けられた糸を引っ張り、本をパタパタと開閉させる。映像の中のオットセイが、現実の世界に置かれた本を鳴き声によって開閉させる。

「置き方」は大学院を修了した後、制作し始めたシリーズの作品だ。見た目はかなり異なるが、その前に制作した「jump from」と「inter image」という作品の延長線上にある作品だと思う。いずれの作品も過去に撮影された映像を、現在の時間軸で起きる出来事と、同期させたり重ね合せることで、因果関係や、時間の前後関係が曖昧になるような構造を持っている。その構造をより推し進め、ディスプレイの中に映る過去の映像を、現実の空間へと同期させたり重ね合せることを考えていた。その結果、インスタレーション形式となることで、現実の空間に配置された、ある厚みのあるオブジェクトとしてディスプレイを扱わなければならないという問題が見えてきた作品でもある。また、別の問題として制作プロセスを変えていくことも課題として捉えていた。「jump from」では、プランが決定すると、そのまま全体を規定する構造が最初に決まってしまい、実際の作品制作では、単にプラン通りに完成させるだけの単純作業になっていた。「inter image」では、プランが決定しても、仕組みとルールが固定されるだけだった。なので、そこに収まる映像は自由に選択可能で、その映像のコンポジションによってニュアンスや意味を作っていくことができた。「置き方」でも同様の方法で、かつディスプレイの外の、現実の空間へと関係が作用していくことを考えいていた。だから、音に反応してモーターを動かしたり、扇風機などの機器の電源をon/offする回路だけを先に制作した。つまり何らかの入力を受け取り、別の動きに変換して出力するインターフェースだけ用意しておいて、あとは実際に入力と出力のバリエーションを即興的に試して決定するというプロセスで制作していったのだ。2008年に町田版画美術館で初めて展示し、2009年にイギリスのRadiator Festivalと、kiviakという僕も参加していたアーティストランスペースでの展示の後、2011年の眼科画廊での展示が最後の展示となった。その間、すこしずつ形態を変えたりしながら、2013年の「思い過ごすものたち」という作品へと繋がっていった。