谷口暁彦 個展「超・いま・ここ」会場図

思い過ごすものたち
Objects Thinking Too Much

2013

いくつかの日用品と、iPadやiPhoneをコンポジションした彫刻作品のシリーズ。「思い過ごす」とは、あれこれ考えすぎて、しばしば現実とずれた認識をしてしまうことだ。この作品では、鑑賞者や作品に用いられるiPadやiPhoneたちが、あたかも思い過ごしてしまっているような、ずれた認識による接続や配置を試みた。また、iPadやiPhoneに標準でインストールされているアプリケーションをそのまま使用している。

基本的にはオリジナルからの変更はなしで、全5点のうち、「A.」「B.」「C.」の3点をピックアップして展示した。

A.

06-1|A.
天井から吊られたiPadが扇風機の風で揺れている。iPadにはティッシュペーパーが風でたなびく映像が短いループで再生されている。 一見、扇風機の風と、ティッシュがたなびく様子は関係しているように見えてしまうが、それらは全く無関係に存在している。

B.

06-2|B.
メモ帳アプリが開かれたiPadに、ポンプによって定期的にミネラルウォーター(Volvic)の水が流れてくる。 水によってiPadのタッチパネルが反応し、文字が入力される。水の流れによって入力される文字は一見めちゃくちゃだが、 時々「Volvic」と入力される。

C.

06-3|C.
天井から吊るされたiPadには地図アプリが表示され、現在地を表示している。iPadの裏には不規則に回転する強力な磁石があり、地図アプリの画面は磁石の影響で現在地を中心にぐるぐると回転する。磁石はまた、強力な磁力によってiPadの画面を貫き、画面中央から鉛筆を釣り下げて保持している。

「思い過ごすものたち」として2013年に発表する前、2011年に眼科画廊で展示した「置き方」の中の一つの要素としてこの「思い過ごすものたち」の「A.」が登場している。「置き方」ではDVDプレイヤーからの映像を小型の液晶ディスプレイに写し、音声は自作の回路へと入力し、モーターの動作や外部機器のon/offへと変換するという手順を踏む要素が多かった。この構成の複雑さが作品全体の印象をどこか無骨な感じにしていたし、なによりそれを制作する際の煩雑さが面倒でもあった。2010年にiPadが発売されると、すぐに購入して使ってみていたのだけれど、大きなディスプレイを搭載し、薄い本体の中にカメラやオーディオ出力、各種センサーを内臓していて、もうこれ一台で「置き方」みたいなことが出来ると感じていた。2011年の眼科画廊の展示について考えていた時、天井から吊るされたiPadが、風に揺られているイメージが頭に浮かび、なんとなくいけそうだなという感覚で「A.」の案が決定した。当初は「置き方」の一部ではなく、この「A.」だけを展示する予定でもあった。2013年になって、文明というスペースで展示をすることになった時に「A.」でやったことを展開して全体を構成していくことにした。「A.」がたんに映像を再生しているだけのミニマルな構成の作品だったので、その時点でiPadのデフォルトの機能やソフトウェア以外を使わないというルールが生まれていたと思う。「B.」は人の指以外のものでタッチパネルを反応させようとしたところから始まっている。最初は硬貨やクリップを画面の上で動かしてみたがうまくいかなかった。苦し紛れにiPadをラップで巻いて、水道の水を表面に流してみるとタッチパネルが反応し、とても興奮したのを覚えている。こうした作品のアプローチを試していると、やはりナム・ジュン・パイクの作品を思い出す。そこで「マグネットTV」のようにiPadに強力な磁石を近づけてみたのだが、何も変化が起きなかった。変化がないだろうということは何となく分かっていたが、それでも何にも変化がなければやはり寂しい。何か使える要素はないかと探してみたところ、地図のアプリケーションで方位センサーが狂うことと、iPadの薄さから磁力が貫通し、画面表面に物が張り付くことがわかった。これらの現象から「C.」が作られた。「D.」はiPhoneにLEDライトが搭載される以前、しばしばその液晶ディスプレイを懐中電灯がわりに使用していたことから考えた作品だ。そこから、ネットワークを介して離れた場所に液晶ディスプレイの光を送るアイディアを思いついた。最終的にはFacetimeで通話しあうことで内臓のカメラで撮影された電球の光を、液晶ディスプレイを通じて送る形になった。2014年にICCで展示することになった際に、「E.」を新しい要素として追加した。会場はもともと2つの壁面に大きな窓があり、外の風景が見える場所だった。その窓を全てプラスチックのシートで塞ぎ、そこにカメラを起動した状態のiPadを貼り付けた。iPadを貼り付けた位置には、プラスチックシートに1箇所だけ小さな穴が空いていて、そこからiPadのカメラで外の風景を撮影していた。それによって、このiPadは窓のように見えるものになった。「思い過ごすものたち」は、「置き方」から始まったディスプレイの中の映像と、その外側の現実とを関係づける問題や、ディスプレイを質量を持ったオブジェクトとして扱うという問題を徹底した作品になったと思う。しかし、「置き方」と、その以前の作品にあった、過去の映像が現在と同期したり、重なりあうという構造は消え去ってしまってもいる。今回の展示では「A.」「B.」「C.」をピックアップして展示した。